安土城復元か、再現か

安土桃山時代に織田信長が築き、「本能寺の変」後に、築城後わずか3年で焼失した安土城天主(守)の「復元」について、滋賀県は県内外から意見を募るそうです。意見を募るにあって以下の4案を提示しています。

 

往時の規模・構造・形式を再現した実物を城跡に建てる「復元」 

②利活用も考え、バリアフリー化など構造の一部を変更して建てる「復元的整備」 

③城跡以外の場所に天守に模した建物を建てる「再現」 

CGで作る仮想現実(VR)や拡張現実(AR)といったデジタル技術による再現」

 

安土城は1576年に織田信長が築城しましたが、それまでの戦の砦としての城から、城主・支配者としての権威を示す城としての転換点と言われています(実際はそれに先立つ5年前の1571年、明智光秀が築城した坂本城がそのプロトタイプ的城とも言われています)。従って、城の外観は57階建ての壮大なもの、内装は金銀きらびやか、かつ狩野永徳の障壁画などで豪華絢爛に彩られていたと言われています。美濃から出てきた信長はこの安土城を居城として、上洛あるいは各地戦場に赴きました。時には近江国の強者どもを集めて相撲大会を行い、強者を召し抱えたりしています。また、本能寺の変の二週間前には徳川家康を招き明智光秀に接待役を命じたことも有名です。

 

 さて、この安土城復元ですが、10数年前にあるひとが夢として本の中で語っていたのを思い出しました。あるひととは、近江八幡市出身のフォークの神様こと岡林信康氏です。筆者はそのとき、安土城の価値が分かりませんでした。岡林が何を言ってるんだろう、というのが正直な感想でした。しかし、どちらかというと日本史にはあまり興味がなかった筆者が、少しばかり戦国時代の歴史本を読むと安土城の価値がわかるようになりました。復元できるならば、おそらくすばらしい滋賀県の財産になると思いますし、持っているポテンシャルもとてつもなく大きいと思います。ということで筆者も、できることならば「復元」してほしいと思うようになりました。しかし、課題は多いです。第一に「復元」には500億円超が見込まれるとのこと。県民一人当たり1万円を寄付しても140億円です。そして最大の問題が、図面はもちろん往時の外観や構造を示す絵図などの資料が一切存在しないことです。現在残っている絵図は後世のもので、恐らく「信長公記」やフロイスの「日本史」に記述のあるものを参考にして描かれたと推測されます。かつて、織田信長が天正遣欧少年使節に託して狩野永徳が描いた安土城屏風をローマ法王に献上したという記録に基づき、調査団を派遣したこともありましたが成果はありませんでした。従って、現段階では正確な「復元」は不可能ということです。残念ですが。